2026年7月21日、能登半島の先端、石川県珠洲市飯田町を祭りの日にウロウロしてきました。
今回歩いたのはこのあたり。
私たちと珠洲のこと
今回執筆を担当するウロウロ〜カルクルーのツツイは、2021年に珠洲市で開催された「奥能登国際芸術祭」を訪れ、珠洲の心地よい空気感に魅了されました。しかし、珠洲を含めた能登では、2022年、2023年に大きな地震が発生、さらに2024年の元旦に起こった最大震度7の大地震と同年9月の豪雨災害により、甚大な被害を受けました。
何ができるわけでもないけれど、珠洲へ再訪をしたいと思い、2025年4月と8月に行くことができました。2021年にあったものがなくなっていることを目の当たりしながらも、珠洲の海、土、山に触れ、美味しいご飯を食べ、能登で動き続けている人たちに会い、緩く心地よい空気をたっぷり吸い、ますます珠洲に惹かれるようになりました。
そして、同じくウロウロ〜カルクルーのタカミは、珠洲の復興支援のため、珠洲市に2025年に派遣され、今年で2年目。他のクルーが珠洲を訪れた際に市内の案内をしてくれたり、現地の話を教えてくれます。
幾度も聞く「珠洲は祭りでできている」という言葉。能登では7月から9月にかけ、少なくとも毎週、ピーク時にはほぼ毎日どこかで祭りが行われます。
珠洲市の中心的な市街地の飯田では毎年7月20・21日に燈籠山(とろやま)祭りが行われます。市街地といっても高いビルはなく、市役所など公共施設を除く一番目立つのは祭りで曳く山車(やま)の収蔵庫。珠洲のことをもっと知るには、やはり「祭り」をこの目で見て感じねば!と思い、飯田の燈籠山祭りの日に、神戸の仲間と再度珠洲を訪れることにしました。


飯田の燈籠山祭り
燈籠山祭りは春日神社の夏季例祭(おすずみ祭り)として、400年近い歴史があります。祭りの象徴が、高さ約16メートルにもなる日本最大級の燈籠山。山車の上に、高さ約6メートルもの大きな燈籠人形が掲げられています。そして、8基の総漆塗りで豪華絢爛な飾りをまとった、各町(行政の町割ではなく、旧町に紐づく地縁団体)の山車が町中を巡行します。
実は、かつては各町の山車に燈籠人形が載せられていましたが、大正時代に電線(架線)が敷設されたことで、高さ16メートルにもなる燈籠山は運行ができなくなり、一度は姿を消し、その後有志の手によって復元されたとのことです。そして燈籠人形は町の人たちの手によって制作、修繕されています。まさに飯田の町のプライド。
過疎化により町によっては曳き手不足で、市外のボランティアに頼っている部分もあるそうです。一方で、地元以外の一見さんでも山車を曳くことができる、オープンな祭りでもあります。
燈籠山祭り初日、7月20日の23時頃に飯田に到着。宿に向かうと「トン、トトン…」太鼓の拍子が聞こえてきました。ちょうど山車がこの日の巡行を終え、それぞれの町に帰るところに遭遇。
山車は「きゃーらげ」と呼ばれる伝統の木遣り唄(きやりうた)に合わせて進行します。鳴物の拍子と笛の音、そして「ヤッサーヤッサー」の掛け声。ガタガタと山車を揺らしながら、ゆっくりと曳かれていきます。
ちょうど宿泊場所の前で山車を一基見送り、宿の3階の部屋に上がると、後に続く山車を見下ろすことができました。この日の見せ場である燈籠山巡行と花火には間に合わなかったけれど、祭りの雰囲気を感じることができました。


燈籠山祭り2日目の朝
翌日、旅の気の昂りと朝の日差しで目が覚め、早朝の海沿い散歩へ。先週から本格的に夏日になりましたが、朝少しは爽やか…いや、やっぱり暑い。宿泊場所のすぐ近くに大きな壁画があってびっくりしました。
いわゆる公費解体により、倒壊した建物は綺麗に撤去されていました。一方で歩道は去年訪れたときから相変わらず、ひび割れて盛り上がっています。
掃除をする地元の方と挨拶(あちらから声をかけてくれます)しながら歩くと、飯田港付近にクレーンの付いた船が浮かんでいるのが見えました。10分ほど歩き飯田港に到着。液状化で崩壊した港湾のアスファルトは全て剥がされ、立ち入り禁止に。去年訪れた8月にはすでに解体工事が始まっていた、奥能登国際芸術祭のインフォメーションセンターだった「さいはてのキャバレー」は跡形もなくなっていました。
先ほど見えた船は、おそらく港の復興工事用のもの。
海岸沿いを歩いていると、向かいから犬を散歩させているおじいちゃんが。「おはようございます」と挨拶をすると、私たちが旅行者と分かったようで、「この犬は全然撫でても大丈夫やから」と、撫でるように促されました笑。
せっかくなのでわんちゃんをモフモフしながら、お話を聞かせてもらうことに。
震災により、海岸の消波ブロックが津波で防潮堤まで打ち寄せられ、1年かけて積み直したそうです。防潮堤も30センチほど嵩上げされていました。この地域も倒壊した家屋が多く、再整備はまだまだ進んでいないと感じているそうです。また、「若い人はみんな金沢など珠洲の外に出てしまい帰ってこない」と、このまちのことを心配していました。
実際に、震災前は1万2千人ほどだった珠洲市の人口は、2026年5月に公表された国勢調査の速報値では約8,500人(珠洲市の公表値は1万人弱で住民登録者数と実際の市内居住者の差と推察されます)と、大きく減少していることが分かっています。
そして、おじいちゃんはかつて貨物船乗りで、若い頃に必要な免許を取るために芦屋の海技大学で学び、神戸に5年住んでいたとのこと。こんなところで神戸と珠洲が繋がっていた。お話しさせてもらったお礼と、「ぜひ神戸に遊びにきてください」と伝え、お別れしました。わんちゃん、暑い中待たせてごめんね。




山車が動き始めた街で
午前11時、曳山巡行が始まります。飯田のまちなかで気になる場所を何ヶ所か回ろうと、歩いていると、知った顔にばったり遭遇しました。今回の「気になる場所」のうち、去年の5月から運営を開始した「スズレコードセンター」、そして昨日(7月20日)オープンした「のとすずハウス」の施工を手がけた建築集団「々(ノマ)」の面々。のとすずハウスが所属する今町の曳き手として、これから曳山巡行に参加するとのこと。
々は元々、関西を中心に活動していましたが、去年のスズレコードセンターのプロジェクトを機に、長期で珠洲に滞在する機会が増え、現在は能登に軸足を置いているようです。
不定形なチームで、プロジェクトごとに参加メンバーが変わり、場合によっては施工スキルを問わず広く参加者を募ることも。そのため、関西から彼らのプロジェクトに参加することで、能登に関わる人も少なくないようです。実は私も2025年の春、々のスズレコの施工に参加する形で、珠洲を訪れることができました。
一緒に今町の山車を曳くように誘ってくれましたが(さすが巻き込み方がうまい)、昼間は行きたいところがあるので、また後でということで。


スズレコードセンター
珠洲の記憶を記録する、写真や映像を中心としたアーカイブセンターが「スズレコードセンター」、通称「スズレコ」です。飯田商店街の北の交差点の空き物件を改装し、2025年5月にオープンしました。
スズレコの運営責任者である西海(さいかい)さんは、2023年の奥能登国際芸術祭を機に珠洲に移住、その直後に被災し、珠洲を離れるか、留まるか逡巡しましたが、「珠洲の記録係」としてここで暮らすことを決めたそうです。
施設のコンセプトに沿った展示やイベントも行っており、今回訪れたときは、珠洲や能登のマッチ箱を集めた展示を開催中。マッチ箱に描かれたデザインへのコメントや、お店の思い出を自由に添えることができる仕掛けになっていました。
1階の薄いクリーム色の壁は、前述の々の施工の一環で珠洲内外の参加者の手によって塗られたもの。壁の素材には、珠洲の大地に積み重なった珪藻土が混ぜられています。まさに珠洲の記録を記録する壁。そして、この珪藻土を掘り起こして集める作業に去年の4月、私も参加させてもらいました。珠洲に訪れたら是非この壁を撫でてやってください。
この日は祭りに合わせて、ドリンクや焼き鳥、焼きサザエの提供をしていました。そして、珠洲市の先端、狼煙(のろし)のカレー屋さん「いかなてて」(レコードショップも併設したカルチャースポットでもある)の出張営業も。お昼ご飯を食べにくる人、祭りの合間に涼みにくる人など、老若男女でとても賑わっていました。




のとすずハウス
入り口に、オープンを記念して贈られた大きな花環(レトロでかわいい)が飾られていた「のとすずハウス」。山口本家金物店として地域に親しまれた最大3階建て、3つの棟を改修した複合施設です。広大な空間を活かして宿泊・飲食・ギャラリーを備え、アートスペースであり、誰もが立ち寄り、語り合うことができる場所を目指しているとのこと。
一階のフリースペースは、誰でも入ることができる広場のような場所。大きな間口を持ち、室内だけど開放感があり気持ちよい。昨日のオープン初日は、曳山のスタート地点ということもあって「祭りに参加する人たちが、何の場所かわからないけど広くて涼しいからと、どんどん入ってきた」とのこと。早速、期待通りの使われ方をされているようです。
1階の奥にある、宿泊エリアも見せてもらうことができました。リノベーションによりスタイリッシュになった部分、土壁や型板ガラス(模様のついた曇りガラス)など元の建物を活かした部分、石のドアノブなどこの土地のマテリアルを活かした部材のバランスが魅力的。
アーティスト・イン・レジデンスも想定されていますが、まだ改修中のスペースもあり、どんな使い方をするのか、これから考えていく部分も多いようです。
珠洲の新たな拠点としての可能性をたくさん感じる場所。ここで何が生まれるか、どんなことが起こるか楽しみです。





飯田のみんなの家
飯田商店街の真ん中あたりに、2026年4月「飯田のみんなの家」がオープンしました。震災後に始まった「能登のみんなの家」プロジェクトとして、珠洲市に6つの「みんなの家」が生まれる予定。地域の人々が集い、心地よく過ごせる場所を作ることが目的で、若手建築家が運営主体と対話をしながら建てることが特徴です。そのため、どんな施設になるかは地域によって大きく異なるようです。
「飯田のみんなの家」は、珠洲で子どもたちへの学習支援や居場所づくりを行っていたNPO法人ガクソーが運営主体。震災によって全壊したガクソーの拠点「(旧)中田額装店」の跡地に建てられました。
そのため、主な機能としては子どもたちが自由に訪れ学ぶことができる場所であり、さらに大人も集い、ともに時間が過ごせるような場所として、昼は寺子屋、夜は大人の交流カフェといった感じで運営されているようです。
ガクソーのメンバーも関わっていた、移住者と地域の人が交流する「しげ寿司」と呼ばれていたカフェバー(地震で倒壊)の機能も、ここに合体させたのではないかと睨んでいます。
外観で目を引くのは、黒くつやつや光る能登瓦。能登の風景の代名詞とも言うべき能登瓦ですが、実は現在は生産されていません。地震により倒壊した家屋から、能登瓦をレスキュー・ストックする「瓦バンク」プロジェクトにより、新たな家屋や修繕に瓦を再利用することで、未来へ能登の景観を繋いでいます。
柱やカウンターにも解体された建物の梁などの古材を大胆に使っており、テーブルや椅子などの家具も中古のものが目立ちます。
そして目を引くのが、内外の壁に使われ不揃いの四角いブロック。よく見ると格子柄がついてるのですが、実は近所でもらってきた豆腐パックを使い、地域の人たちと一緒に解体した壁の土を型取りした、日干しレンガということです。
新しいピカピカの建物の中に、年季の入った部材や家具、DIYな壁が埋め込まれており、さらに(この日は祭りの休憩所になっていたこともあるかもしれませんが)色々な物が雑然と置かれています。オープン3ヶ月後とは思えない使用感があり、まさに「家」のような落ち着く空間。これから地域の人に使われて、新しいものと古い物がさらに馴染んでいきそうです。




いろは書店
飯田商店街の「いろは書店」は、明治時代に創業された醤油屋をルーツとする、老舗の本屋さんです。地震の被害を受け、現在は仮店舗で営業中。涼みがてら店内のカフェスペースで軽くお茶でも、と思っていたところ店主さんが気さくに話しをしてくれました。いや、実際はマシンガントークに巻き込まれたというべきか…。
元々の店舗兼自宅は地震で全壊、幸いなことにご家族全員無事でした。そして2週間後には斜め向かいの旧スズ交通事務所で、仮店舗として営業を再開すべく、DIYを始めたそうです。すごいバイタリティ。
そして話を聞いている間に、関東のミュージシャンの方、家族で旅行に来たけど珠洲が楽しくて1人だけ残った方と次々とお客さんが話の輪に加わってきます。いろは書店と店主さんの愛され具合を感じる。あっという間に時間が経っていました。
なぜかキースヘリングを感じる商店街のマップもDIYの腕を見込まれ(?)、いろは書店の店主さんが作成したとのこと。本店舗の再建に向けて「いろは書店復活プロジェクト“Reborn”」が進められており、新しい「いろは書店」がどんな場所になるか目が離せません。


いよいよ祭りが本気を出す時間
日が少し傾いてきたころ、道の駅すずなりで塩ソフトを食べたりしつつ、飯田商店街から東へ歩いて10分ほどの「海浜あみだ湯」へお風呂に入りに行きました。
あみだ湯は地下水を汲み上げ、薪でお湯を沸かしているため、地震によるインフラ被害の影響が小さく、早い段階で営業を再開し、地元の方を温めてきました。また、去年の珠洲訪問の際に寝床を貸していただいたり、大変お世話になっています。1年ぶりの訪問ですが、番台に立つお姉さんが私たちのことを覚えていてくれて嬉しい。
しかし、インフラが復旧し石川県による入湯料の助成が終了したこともあり、経営はなかなか厳しいということ…、みんなあみだ湯に入ってグッズを爆買いましょう。
昼間に飯田をあちこち巡っている間に、何度も山車の列に遭遇していました。今日(2日目)は「飯田わくわく広場」の巨大燈籠山の前に山車たちが集合する、解散式直前の盛り上がりが見所とのこと。山車が飯田商店街を通り広場に向かう20時半ごろに、私たちも祭りに合流しました。



祭りの温かな熱狂に溶け合う
昼間はどことなく気怠そうだった掛け声も、この頃には十分に気合が入ってきたのが分かります。ゆっさゆっさと景気良く躯体を揺さぶりながら進んでいく山車たち。提灯も勢いよく揺れています。
各町の巡行コース上に特設の舞台が設けられており、山車の通過に合わせて、子どもたちが踊りを奉納するのも燈籠山祭りの特徴。曳き手たちが子どもたちの応援に回ります。もちろん「我が町」の山車が通る際はひときわ盛り上がります。
燈籠山が控える広場に先回りして山車たちが来るのを待ち構えるも、全然こない。きゃーらげが聞こえる広場手前の曲がり角まで行くと、お囃子と掛け声は何度も上がるけれど、山車は足踏み状態で渋滞を起こしています。どうやら、祭りが終わるのを嫌がって、牛歩戦術をとっているようです。
ようやく先頭の南町が角を曲がって進み始めました。その後に建築集団”々”も参加している今町が続きます。今町は特に掛け声の威勢がよく曳き手も飛び跳ねていて、ライブのコール&レスポンスのようなノリ。
広場前に集合して定位置に止まった後も、きゃーらげは鳴り止まず、幾度もリフレインしています。統制されているわけではなく、その場の暗黙の了解というか、空気感によって、祭りがうねりながら進行しているように見えます。
段々と観ている側も、そのうねりに飲み込まれていき、いつのまにか拍子に合わせて体をゆらし、断片的にきゃーらげの一節を口ずさみ、「ヤッサーヤッサー」の掛け声が体から出ていました。
町によって山車にとりついている人数や、雰囲気が違うのが分かってきます。ベビーカー片手に家族総出で曳いているようなアットホームな山車もあって和んだり。
数基を見送り、栄町の屋台が近づいてきたところで、曳き手の方に「祭りに来たなら見てばっかやなくて曳かんと!」声をかけられ、私たちも山車を曳かせてもらえることになりました。
一升瓶から日本酒(珠洲の蔵元「宗玄」のいいお酒)の洗礼を浴び、綱を握ります。「ヤッサーヤッサー」、体重をかけて綱を引けども、山車を揺らすばかりでびくとも動かない。と思えば、突然スルスルと進みます。巨大な耳かき棒のような鉤棒を持った舵取り役が、場の空気を読んで絶妙にコントロールしているようです。
そんなことを数回繰り返しながら、栄町の山車も集合場所に収まりました。それからほどなくして8町全てが揃い踏み、気が付けば四方を山車に囲まれた祭りのど真ん中にいました。
いつの間にか、それぞれの山車で奏でられていたきゃーらげは一体化していて、その中を笛を吹く人、声を上げる人、乾杯する人が入り乱れています。ヤッサーヤッサーの大合唱の輪。それがグルグルと何周かしたところで、一本締めとクラッカーの破裂(びっくりした)をもって祭りのピークが終了しました。
この後、一息ついて山車は自分の町に帰っていくのですが、去年は3時くらいまで続いたとのことで、この辺りで退散することに。





人と文化が入り合うまちへの予感
宿まで戻る途中、スズレコの前を通ると道路に面した窓に、山車が巡行する写真や、過去の燈籠山の写真が投影されていました。中を覗くと、西海さんが栄町(スズレコは栄町に入っている)の山車が帰るのに合わせて、祭りの写真をスライド上映する準備をしていました。なんとも粋な企み。
西海さんと話していると、ちょうど栄町の山車が信号を超えてこちらにやってきます。スズレコの前を曳かれていく山車と、燈籠山祭りの記録上映の幸運な観客になることができました。
去年に続き、珠洲市飯田を訪れたことで、少しずつ新しいまちへと変化していることを感じることができました。
今回訪れたスズレコ、のとすずハウス、飯田のみんなの家、いろは書店、あみだ湯、それぞれの「機能」を持った施設やお店ではあるものの、その機能に用がなくても、誰でも来ていい/居ていい、「公」の部分や態度を持っていることが印象的でした。
何より、今回祭りに参加することで、まちの文化に入りこみ一員になれるような、強烈な体験をしました。
海に囲まれ、かつては多くの人々が行き交った珠洲には、他所の人を受け入れる開けた気風や緩さがあると感じます。そして人が減っていく今だからこそ、街の人も、他所の人も集まって、話をして、まちに関われるような場所を作ることに、より意識的になっているのではないでしょうか。
また、他所の人間がまちに関わっていること、「アート」という祭りとは別の入り口をまちの中に作ることについては、震災前、2017年から奥能登国際芸術祭を開催していたことが効いてきているように感じます。
まちの中に誰でも立ち寄れる場所が増え、そしてまち自体が文化的な「入会地(コモンズ)」のようになりつつあるのかもしれない。そう見立てるとこれからの珠洲の可能性がぐっと広がりおもしろい。これからを定点観測したいまちです。

今回紹介できなかったけどオススメのお店
やぶ椿
石川県珠洲市飯田町14−27
営業時間:18時〜22時
定休日:なし
多間栄開堂
石川県珠洲市飯田町10−11
営業時間:10時〜17時
定休日:日、月曜日
二三味珈琲カフェ
石川県珠洲市飯田町7−30−1
営業時間:10時〜16時
定休日:月〜木曜日

